《透明になった労働者たち》
ミクストメディア、映像
2017年

Exhibition
「群馬の美術2017」
2017.4.22 – 6.25
群馬県立近代美術館
https://bijutsutecho.com/exhibitions/12

生まれたばかりの子を育てる母親。認知症の祖母と生活する孫。自分だけでは生命維持できない状態にあるものが依存し生きること、一方的な依存とはエヴァ・フェダー・キテイの言うように「透明な自己」によって成立するものであり、自分を透明にしなければできない行為なのかもしれません。
認知症の祖母を介護する彼女は、祖母をついいじめてしまう時があり、そのあと後悔して優しくしてしまう、とわたしに話してくれました。彼女は祖母との生活の中で徐々に自分を透明にしていったのです。同じように生まれたばかりの子を育てる友人は自分のことよりも子を優先し、限られた行動しかできない生活をしています。私の母も「つらい、つかれた」と言いながらも家事や育児をやめようとはしませんでした。結婚したばかりの友人も次第に透明になっていくのかもしれません。
こどもや老人のふと見せる笑顔は何にも変えられない報酬かもしれません。けれども命を預かり、その命に尽くすという過酷な日常は休みなく続きます。それを放棄することは許されはしないのでしょうか。