《受けとめきれない》
映像、ドクダミ、ミント、レモンバーベナ、マツリカ、シソ、レモンバーム、レモングラス、コリアンダー、ラベンダー、カモミール、コブミカン、セージ、ローズマリー、エタノール、ウォッカ、ガラス瓶

2019年

《Care/Cure》
蜜蝋彫刻 16 点
各タイトル《Care / Cure #1 ~ 9》 《Care /Cure こぼれる》
蜜蝋、芯糸、猫の毛、ドクダミ、カレンデュラ、カレンデュラシード、コリアンダーシード、ジュニパーベリー、イエローマスタードシード、グリーンペッパー、クローブ、ローズマリー、塩、木、オイル、水
2019 年

《­Hives》
各タイトル《Hives 2018.6.7》《Hives 2018.8.23 》 《Hives 2019.1.2》《Hives 2019.2.2》 《Hives 2019.2.10》 《Hives 2019.2.14》 《Hives 2019.2.26》《Hives 2019.3.8》 《Hives 2019.3.9》《Hives 2019.3.10》 《Hives 2019.3.15》
板、蜜蝋、ワックス
2019 年

《願いの庭( 榎本)》《願いの庭( 本間)》
布、水性ペン、土、プランター、旧本間酒造庭の植物
旧本間酒造の庭に植えた植物:ローズゼラニウム、ラムズイヤー、ツルドクダミ、フレンチ・タイム、バーム・オブ・ギリード、サザンウッド、ヘリオトープ、エキナセア、ホワイトセージ、メラレウカ、キバナオウギ、マツリカ、ヤロウ、ユーカリ、サントリナ、バタフライピー、レモングラス

2019年

Exhibition
「ソウウレシ」
2019.9.7 – 23
旧本間酒造 (旧本間酒造 店舗兼主屋)


Photo by Shinya Kigure

 

いつのことか、ベッドから動けなくなり、目からは涙がとまらなくなり、皮膚は蕁麻疹でかゆく、食べものの味も感じられなくなったとき、庭で蝶々を追いかける猫をただ見つめ、すべての行動に価値を感じられなくなる無気力な日々が続きました。庭を見つめているうちに植物を植えるようになりました。虫がついたら丁寧にとり、水や肥料を与え、花が咲いたら晴れた日の午前中に 収穫してすぐに洗い、乾燥させお茶にして飲みました。青臭かったり良い香りがしたり、料理に入れて楽しんだり、ドクダミなど薬効のある植物はエタノールに漬けて化粧水として使い、蜜蝋はクリームにして蕁麻疹を刺激しないよう皮膚の改善として使いました。こうしていつの間にか無気力な日々は過ぎ去り、自身を修復する作業も楽しみとして変わってゆき、まったく興味のなかったガーデニングも毎日の日課となりました。ガーデニングは長年の母の趣味でもあります。私が庭で植物を育てる以前に庭のほとんどは母が好きな植物たちで埋め尽くされていました。つい最近のこと、30歳になったひきこもりの弟が若者の就労を支援する施設に通い始め、近所の運送会社で2週間の就労体験をすることになりました。そこで仕事に就くことができるかもしれないと母は淡い期待をいだきながら心配でいてもたってもいられなくなっていました。体験の初日から帰宅した弟は母の顔を見た途端にボロボ ロと涙をこぼしながら、自分には無理だった。甘かった。もうやめていいか、と母に言いました。12年間社会から離れ、家の中だけで過ごしてきた時間が自分を押し潰そうとし、それに抗えない 無力さを痛感して涙を流したのでした。目の前で泣かれた母親の辛さはどれほどのものだったのでしょうか。庭のある家では植物の種類や配置にも家主の願いが込められていることがあります。 母が庭を美しくするのは、せめて庭だけは日々の出来事を忘れさせてくれる場所にしたかったのかもしれません。
旧本間酒造の庭も植物の種類や配置にどのような意味があるのか今ではもう知るすべはありませんが、どれほど大切にされていたのかは実際に見ることでわかります。文化財に指定されている主屋の2 階には、以前住んでいた方が使うために改装された洋室があります。そこは「文化財」という名目から切り離され、歴史的な建物であるということの前に、住む人にとって快適に生活しやすい空間として存在しています。エアコンが取りつけられ、部屋の床や壁を新しいものに変えたことは日々の膨大な時間をこれからもこの場所と共に暮らしていくために、いたって自然に場所と向き合っているようでした。その部屋と同様に、庭には生活者を豊かにするためのたくさんの植物が植えられています。かつてあった梅の木からはたくさんの梅が取れ、漬けた梅は家族が楽し むために使われていたそうです。住人だった方からは、家のものはほとんど処分したとお聞きしました。生活するために必要ではなくなったものを手放すということは、普段のわたしたちの暮らしではごく自然なことです。それに、ほとんどのものが手放され たはずのこの庭にはまだたくさんのものが残されているようです。
大きな歴史には到底記されることのない、そして記憶からも忘れられがちな小さな願いや、ただ庭を眺める時間でさえも、古くから流れてきた時間には変わりないはずです。