陽の光を暖かく感じた日には

しばらくあまり人に会っていなかったのか、たまに誰かに会うと何をしているのか聞かれてしまうのですが、ここしばらくは弟のサポートをしていました。
公共の交通機関を使うことへの不安が強いため、送迎や福祉サービスを受けるために必要な手続き、障害者支援の窓口への相談、就労支援のための手伝いなどです。これまで以上にきょうだいと向き合う時間を過ごしています。
本人の希望もあるため、勝手に進めることはせず、ひとつひとつ確認をしながら進めているのですが、これがとにかく大変な作業で、勝手に進めてしまえる方がはるかに簡単なのです。つい先日も、あることについて本人にどうしたいか確認すると、パニックになり、部屋にこもり何日も食事をとらなくなるということがありました。負担を減らすためのことなのにそれが新たな負担になってしまっている。声をかけすぎても、さらにパニックになるし、放っておいても自分で自分を責め続けてしまう。どう対応したらよいのかわからなくなり、最悪なことも頭をよぎり冷や汗をかきました。

慎重に言葉を選びながら対話をしていくことは簡単ではありません。受け答えを間違えたらまた何年も、もしくは一生殻に閉じこもってしまうかもしれないし、「あせることない」「現実と向き合ったら不安になるのは当然」「やりたくないことは正直に言わないと後で辛くなる」不安を減らすためにかけた言葉のはずが、すべてが自分に返ってきて、果たして自分はできているのだろうかと自問自答の日々になるからです。やがて伝染病のように自分の不安も大きくなっているのです。

判断が難しいことばかりですが、気づかされることもあります。
支援施設の職員さんのおかげでいくつか就労継続支援の事業所へ見学や体験ができることになったとき、物事が動き出したことで本人のあせりと不安が強くなっていることを相談したことがありました。理由を聞かれた弟は、自分がいつかひとりでのたれ死ぬのではないかという強い不安があるのだと話しました。
この国では最低限の生活の保証はされているのでそうなることはない。あせってもいいことはないのでゆっくりやりましょうと職員さんは声をかけてくれました。
そう言ってくれて感謝はしているものの、そうならずにすむのは、声があげられる環境にある人に限るのだろうとも思いました。
世の中では様々な出来事が起こっていても、周りのことを考える余裕もなく、それ以前に声の出し方さえ知らない人もたくさんいるのだろうとも。そもそも自分だって、自分のことだけでいっぱいいっぱいなのです。
そんな日々のさなかでも、陽の光を暖かく感じた日には庭に出てみると蒔いた種から小さい芽が出ていたり、冬に植えた球根が元気に成長しているものです。束の間でも安らかな時間を過ごすことができます。

こうした日常から繋がり、新潟の滞在では庭や植物のこと、精神的、身体的な修復について引き続き考えていきたいと思います。

2022 .3.23