不安障害

 幼い頃からいくら努力してもできないことがありました。同じ状況になっても向上していかず、その状況に慣れることもできませんでした。ある日、自分とまったく同じ症状で苦しい思いをしている人がいることを知り住んでいる場所から一番近い精神科の病院に行くことにしました。緊張しながら診察を受けると不安障害と診断を受けました。特定の状況下において強い不安や恐怖、緊張を感じ、次第に日常生活が困難になってしまう病気でパニック障害のような症状、突然の発作が起こることもあります。この症状が現れた初めの記憶は小学校低学年の頃、クラスのみんなの前で研究発表をしているときでした。それからというものなるべく同じような場面を控えてきましたが、大人になるにつれこの病気によって困ることも出てきたため限界を感じ病院に行ったのでした。不安障害は外からはわかりづらい症状があり、簡単にはわかってもらえないのがとても辛いところです。
 通っていた病院では最近調子はどうか聞かれてほんの数分話をしていつも通り薬をもらうだけでした。もらっていた薬は毎日飲むもので、たまに飲み忘れるとひどい頭痛に襲われました。診察の日に頭痛の相談をすると飲み忘れないでくださいと言われるだけで、それからその病院に通うのはやめてしまいました。症状はまったく改善されずこのまま生きていくしかないと諦めるしかありませんでした。
 《受けとめきれない》という作品を考え始めたころ、自分のなかで何かが変わっていきました。コロナウィルスの影響もあり、社会のあり方が少しづつ変わったこともあるかもしれません。これまでがむしゃらに忙しく動き回っていた人たちも、ゆっくりと行動していた人たちも、これまでのことを振り返ったりこれからのことを考えたり、自分と向き合う時間が増えた時期だったのではないでしょうか。自分と向き合うことはとても孤独な時間です。その孤独と不安に耐えられなかった人もいます。強そうに見えても、どんなに輝いていてもその人にはその人なりの辛さがあるということも学んだ時期だったようにも思えます。息がつまるような時間に感じていた人も少なくないかもしれません。私はというと、コロナの影響をもろに受けて予定していたことが白紙になりしばらくは落ち込んでいましたが、すぐに普段と変わらない状態になりました。今まで自分が抱えていたことを世界中が追体験して、重くのしかかっていたものが分散されたようにも感じ、むしろ心穏やかに過ごすことができました。弟のようなずっと外に出ることができなかった人たちも同じように感じていたのかもしれません。
 そういった時間を経てこれまでずっと体の芯のあたりあるつかえのようなものを無視し続けていたのが長い時間をかけてやっとそのつかえを認めることができるようになった気がしています。本当に少しずつ、まだまだ時間はかかりますが、きっと私にとっては良い邂逅だったのだと思います。

2021.1.18